マナーについて

マナーや礼儀作法とは何のためにあるのだろうか?
礼儀作法とは、もともと「思いやり」や「まごころ」を表すために生まれたもので、形式ばるためにあるというものではない。思いやりやまごころを表現する一つの方法。人とのつながりの中で、当たり前に必要なものである。ということがとあるところに載ってた。
私なんかは堅っ苦しいなぁ思うほうなので、あんまり意識していませんでした。けれどもどこか人里離れたところで暮らしていくわけでもなく、社会の中で生きていくと色々な人との関わりがあって自分の生活が成り立っていることは知っています。
思いやりやまごころ、それは何のために必要なのだろう?逆に思いやり・まごころがなければどうなるのかを考えてみた。
・思いやる→思い遣る→相手の置かれた立場に立って、その心中などを同情的に考える。〔現在および将来・過去にわたって言う〕(新明解国語辞典より引用)
・思いやらない→思い遣らない→相手の置かれた立場に立とうともせず、ましてやその心中などを同情的に考えることなど一切ない→お前の状況などこっちの知ったこっちゃない!→お前のことなんかより、おれのことが大事だ→→(酷くなると)→→自己中心的思考に陥る→そいつと関わる人は迷惑を被る(なんたって自分のことしか考えないんだから)→そいつにいろいろと力があるともっとやっかいなことになる→殺伐とした世界になる。
いろいろと飛躍があったけど、あまりいい風にはもっていけないと思う。やっぱり思い遣りの気持ちは大切だな。
しかし、いろいろな礼儀作法がある中ではどうしても納得できないこともある。別にそんなところにそんな意味を見出してないよってところにも思いを遣っていたりするのを見ると、堅苦しいなと思う。
しかし、今思いついたけど、そんな細かいどうでもいいようなところまでにも気を配っているということは逆にすごいことだ。そんなところまでと恐縮な気持ちになるかもしれない。けど、自分がそこまでやってないからってこいつは気を遣わないやつだなと思われるのは心外だけど。